定食屋

作詞・作曲:たんこ

Vo:たんこ
G:快人
※テレキャスター
B:白井
Dr:かつや君(DM5)
Cho:青春コーラス隊
(滋野誠・快人・白井)

Time:3:46

もうすぐ待ちに待ったメシの時間になりマスよ 弁当もイイけど今日は食べにイコう
僕の家の近所のきたない定食屋 行くマデの5分間で食うものを決めよう

5つホドの空いた席の中にテキトーに座る 無造作に壁にはられた赤茶けたメニュー
雑誌の選択もホドホドにまず水を一飲み 今日は何にしようかな 大盛りでたのもう

運ばれてくるしばしの時間何をしててもいいのさ TVの野球も気になるケド週刊誌も捨てがたい
次々道行く人々はトキタマこっちを見てる 僕はたばこに火をツケてこれに対抗する
油の音とおいしそうなニオイ 電子ジャーの湯気が食欲をそそる
そろそろ僕のがデキたようだヒマツブシはやめて 普通の女の子が運んでくる定食屋のバイト

はしをツケるマデの数秒で作戦を決めて 野菜にソースをホドホドにカケる
いつもより味噌汁の具が多いコトにニヤツキながら 体全体で食いまくるゼ

食後のたばこも快調で 満足感が絶頂に達する
どんなに寝むたくなっても寝るワケにいかない 氷をガリガリ水のおかわりはセルフサービスで

各国の料理をチープにアレンジして お求めやすいお値段で提供してクレる
日替わり定食もおりまぜて 僕らの期待にこたえてクレる
見てクレは良くないけど味はウマくて値段は安い 千円札でお釣いっぱい帰りにマンガを買おう
メニューを全部もうらしても僕の野望は終わらない
あ〜近所の定食屋 週に2,3回

謎な不気味な曲。本来は「2003秋味」でやるべき(私もG弾ける程度)やったけどまあいいか。勢い良い風に見せかけ実は淡々と歌詞を聴かす曲。しかも内容が薄いというかナサ過ぎるバカ過ぎる。これぞリアルロック
青春コーラス隊は今回ヤリ過ぎ(全3曲とも3人×2+私で7人歌ってる)た感もあるがこの曲でトドメをサス。
ひぐっちもにの感想文
2004年1月13日    ロック!!

 おいらの周りには、プロアマ問わずミュージシャンが多い。ロックからジャズ屋さん、それにテルミン奏者だっている。
 加えて、絵描きも多い。エロ漫画家やイラストレイター、書家だっている。
 あと、わずかながらフォトグラファーもいやがる(笑)。日本最後のマニュアルカメラマン”まおさん”(競馬ブック表紙など)やウチからリンクしている岩井ちゃんがそうだ。

 今挙げた連中の共通項である「表現者」というキーワードは、それを使う際に、気恥ずかしさと、誤解を受けるリスクを伴うものだ。その「誤解」にも、いろいろあるのだろうが、多くの場合原因に「表現者は特別」意識があるはず。

 たしかに、表現をゼニに変えるプロや、積極的に作品を発表する活動家には、それぞれのジャンルに応じた洗練された技術や方法論が必要だ。それでも、「表現」する事や、する人は特別ではない。
 例えば、一緒に住んでる人間が体調を崩す、なら代わりに手伝える家事はしてあげるのだって「おもいやり」や「気づかい」が根底にある「表現」だ。そこには家政婦の病欠だとばかりに放置する事から、断れる仕事なら断ってしまうまで、選択肢のグラデーションがあるからだ。絵を描いたり楽器を鳴らしたりするのも、不特定多数の観客を得ているかどうかの違いはあれど、その延長線上にあるものでしかない。
 「表現者」は特別。その選民意識が作家も観客をも不幸にしている。「表現」は誰にだってできるから尊いのだ。

 さて、年賀状を受け取っても返さないという、おいらの筆不精ぶりを反映した表現を取り入れるようになって10年がたつが、それでも年賀状をよこしてくれる友人は大事にすべきだろう。今年来た年賀状の中に古くからの友人「たんこ」からのものがあった。内容はCD2枚。ロッカーとして東京と京都を舞台に表現を続けてきた彼の集大成のような録音だった。

 お互いが京都のライブハウスを飲み屋代わりに使ってた頃、店長の紹介で知り合ったのが7年くらい前の話。バンドブーム(イカ天世代ね)の流れもあって店内に巣別れ出来るほどいたロック野郎の中でも、彼は異彩を放っていた。独特の美意識を持っていたからだ。

 喧嘩は買うけど弱いのがカッコいい。尊敬するミュージシャンの駄作をカバーするのがカッコいい。日記は毎日つける。バンド名は小文字にしたほうが目立ってカッコいい。逆上がりが出来ない。カメラを向けると必ず死体のような顔をする。
 おいらが、ギターの名手「チャー」がギターを選ぶ基準を問われて「色!」と即答したのを見てカッコよく思えたのは、明らかに彼の影響だ(笑)。

 あくまでも彼の生活の中ある美意識、つまり何がカッコいいかを考え実践する姿が、彼のオリジナル曲全てに反映されていた。日常にある照れ、憂いが美意識というフィルターを通って噴出される楽曲群は必ず浮き足立ったものではなく、彼の手中にあるものだった。
 俺はこんなにへたれです。そんな痛々しくもある激白が、ヘロインも決める根性がないくせにストーンズみたいなかっこしてサビだけ英語の歌を唄ってるやつより凄絶な迫力を持つのは当たり前だ。
 言いにくい台詞を英語にして「照れ」から逃げを打つのが定番化している日本語ロックの世界において、「照れ」と真っ向勝負をしているのが「たんこ」のスタイルでそれは、どうやらずっと変わらなかったみたいだ。

 あくまでも作品の発想は日常の生活から・・・そんな御託を並べて、白い鳩や綺麗な服を着たカップルや花束や・・・といった絵ばかり描いてる正常位しか知らなさそうな女性画家がいたが、彼の作品の発想は、本当に生活の中の実感からスタートし前述の「照れ」を含みつつ昇華されているものだ。

 「♪あ〜近所の定食屋・・・週に2・3回!!!」

 こんな絶叫をするヤツはかっちょいいのだ。
 興味を持った人は彼のサイトにいってMP3で聞いてみてくださいな。

 ちなみに、おいらは筋肉少女帯と人間椅子も好きでし。
 まあ、最近おいらの文章が堅い感じなのは、自信の男性器の状態を反映した「表現」ということで・・・・。