2003/09/30火  営業入りマスた

ようやく持ち込んだREC機材をセッティングし「しとやか」あたりを仕込んでたら 
※例のHDフォーマット事件でプロジェクトファイル破損のタメWAVファイルをインポし直し
シゲちゃんからTELが入り

金曜日のイベント参加を要請され

悩みつつも快諾し彼の家へ向かう。正直REC準備で一杯一杯なのだが今の流れを大切にするタメだぜ、おもしろそうやし。こうして新ユニット

滋野誠と◆たんこ◆


がスタートしマスた。やる曲を決めてたらカツヤ君が預かっててクレた私のギターとトモに登場。で、今の切羽詰ったREC状況を報告すると

Dr部分をやってクレると言う

ではないか!こりゃ思いつかなかった、てか助かった。思う存分ユニットに専念デキると思いつつ彼と彼女を送ろうとすると

配達に快人登場
 ※「郵便デ~ス」

ものスゴいタイミングだと大爆笑しながら彼のプロ技(バイク)を見届けた。そしてシゲちゃんとワリとちゃんと練習し成功を確信し彼をMOJOというライブハウスまで送って帰路についた。まだスケジュール的に予断を許さない状況ではあるが両方がんばりタイです。
10/3金山城高校の横でやるお祭りで19:15~演奏しマスんで見に来てくらさいネ。
マイペースな練習の結果 →翌日
2003/09/29月  木屋町の深夜そして疲労困ぱい

RAGでタマタマがんちゃん(元REPLAYSのB)のバンドが出るというコトで顔を見にいこうと思いつつガネーシャ(4次会)に立ち寄る。「一人ですけどイイですか?」ナンテ言いながらカウンターに座ると

「◆たんこ◆さんですよね?」

と若い店員が。数年前「遅咲きの花」を置いていったがそん時の店員で今は店長という。あれだけのコト(一言しかしゃべってない)で憶えてるナンテ正直ビックリしたが話をしてると

めちゃイイ奴であるコトが発覚 ※歴代最強店長

加えて未だ私を頼ってクル女性客もいるらしくガネーシャの未来は安泰と見た。皆行ってあげてくらさい。以降記憶はおぼろげだが、RAGへイキ(5次会)がんちゃんも秋葉さんもいて同席デキたけど気が付くと

楽屋でまっつに起こされてた

どうやら飲む時間が長すぎたミタイで残念。 ※18時間ぐらいか
地下鉄の駅マデ歩き軽くゲロ吐いた後乗り込んだら

四条で駅員に起こされた ※折り返して1駅後退

再度挑戦するも今度も逆向きの北山で起きる。2時間ぐらいカケやっとりょ~太のお寺に着いた時はすっかり明るくなっており、されど車にのったら超絶危険な状態だったのでネイキッドで就寝。今度は育ちの良さ関係なく爆睡。昼に目覚め天下一品本店のラーメンにコレマタ気持ち悪くなりつつ残し京都の実家へ。再び爆睡。したら専属美容師が髪を切ってクレるというので彼女の新職場の祇園マデいき頭を軽くしてもらい帰りがけにネットカフェによってマタマタ爆睡し明日に備えマス。 →翌日
2003/09/28日  かっちゃり結婚パーティー at RAG

8:30に起こされるも9時間寝たので具合がいい。朝食までいただきいざRAGへ。考えた末ネイキッドはお寺においてクことにして地下鉄の駅を目指す。途中鞍馬口ナンテ懐かしい駅(住んでマスた)を通過して御池で乗り換え10:30にRAGに到着。秋葉さんやシゲちゃんをハジめ久々の顔がズラり。そしてリハをしてるのはメインのshare my love。そう、今回はかっちゃりの結婚パーティーなのだ。東京シャウターズの時に見に来てクレてた彼女がお相手というのを確認して

ホッとしマスた

軽くリハをして開場を待つ。続々やって来はるお客さん。正直知ってる人はほとんどいないけどイイ雰囲気だ。そしてカツヤ君とシゲちゃんの司会でスタート。

ウマいこいつら

サスガに堅気じゃないダケのことはある(笑)。イイ雰囲気の中新郎新婦が入場し、ケーキ入刃とかインタビューとか何の問題もなく進行しトップのREPLAYSの演奏が始まった。私も知らないぐらい古い人(新田クン)がメンバーにいたりしておなじみの「STAY」から「IN THE RAIN」を披露しはり、後者の途中で私は当然乱入してハモりマスた。乱入時の踊りは

E.YAZAWAダンス

ってワカってた?近年マレに見る傑作だぜ。次は我らエロリアンズ。G快人Bりょ~太はおなじみながらも今回Drはパーティー企画者のカツヤ君

勝手に加入を宣言し ※え~ちゃんはアセるよーに

彼のリクエスト曲をやるのデス。というコトでいつもの入場から。ウケる。「あなたがひとつ」~「20番」を滞りなく演奏できた。最後がshare my love。今回のタメにはるばる東京からバックメンバーがカケつけ感動だ。かっちゃり自体ライブするのはINNOCENT PARTY VOL2以来2年ぶりとか。3曲やらはり、かっちゃりにのみ内緒だった「さくら」で私とシゲちゃんが乱入しその他も入り乱れ盛大に演奏し終了。あっというマの宴が終わった。ビルの前でお客に新郎新婦がCDを配ったりしてすばらしいパーティーでした。
喫茶店(2次会)で時間をツブした後 、祇園のレストランバーへ。新田君が幹事の3次会だ。ココでもかなりの数カケつけ激ウマの料理と上品なお酒を堪能。正直

RAGでは唐揚げ1個にトドめておいて良かった(爆) ※ナオト君はけっこう食っていまくってて後悔

4500ペソの会費だったけど普段はその倍ぐらいだとか。世の中にはウマうものがあるもんデス。魚民はもう卒業しタイ。
そして4次会はカラオケBOX。以前あんなにサガしてトールさんも歌うし、なんせミュージシャンが多いので英語ROCKの曲が多くておもろいよん。かっちゃりの「キャシャーン」のアニメソングやシゲちゃんのアースシェイカーにも脳天をガツンとやられたがMVPはなんと言ってもツッチー。デビュー時のREPLAYSのビジュアル系人気No1ベーシストだが家庭を持ち子供も生まれて堅気になったけど

中身は変わってないっぽい

サイコーでした。この時点で12時間ほど飲んでるコトになるが翌日仕事でほとんど帰宅組の中、私は一人で木屋町の闇に消えてクのでした。 →翌日
2003/09/27土  京都豪遊ツアー初日

昨夜はアルバム完成及び久々の京都行きに興奮して寝られず2:30にネイキッドで出発。牧の原で5分休憩したのみで8:30にはきっちり東インターに到着した。ちなみに車の中で

「2003秋味」5回聴いた ※過去アルバムと交互に聴き比べてミタ(やや高音キツいか)

最後の方は意識もモウロウとしスピード落ちてたなあ。にしても中途半端な時間。練習は13:00からやし困るが一乗寺近辺をうろつく。全く腹は減ってないけど横綱へ入ろうとするも11時からなんで車中で寝ようとするも不可。

育ちがイイので寝れません

マンガ買ってきたりして時間ツブしてたら開店してたので突撃。相変わらずウマいが体調がそれに適してないので残してしまう。イイ時間になったのでRAGスタジオの近くに移動。有名な朝までやってる北白川ゲームセンターに入り100円カラオケでテンションを上げた。

01-花になる/奥田民生
02-Th eSTANDARD/奥田民生
03-さすらい/奥田民生
04-進めなまけもの/斉藤和義


声をガラガラにしてRAGスタジオへ。快人、かつや君、そしてりょ~太も早くカケツケ4人そろいかっちゃりが見てる前でリハスタート。翌日披露する「あなたが一つ」「20番」は

2度ずつ


にトドメ後はひたすら関係ない

・よくある苗字斉藤
・ルイジアンナ
・大事パート2
・原チャリにのって
・最終レース
・動けない


等のスタジオライブが続く。てか皆ヨク対応できるもんだ、快人以外(爆)。特にヤングシャウトではかっちゃりのオリジナルギターソロも聴けて感無量。んな感じで明日の完璧な演奏を確信しリハを終了した。りょ~太、かつや君は仕事へいき残った3人でロイホでダベる。コーヒーを5杯程度とタバコ1箱消費する間にDTP、DTM、楽器、その他の話で盛り上がる。かっちゃりは前者のプロになっておりFireworksのおもろい使い方を教えてもらい超絶試したくなった。彼は夜のリハにムケて帰宅する中、快人と食べ放題激マズ焼肉にいってREC計画をタテた後、出町柳まで送り、りょ~太の寺で招興酒を頂き爆睡しやした。 →翌日
2003/09/26金  初ワンマンライブ (1994年新春)

その日ガネーシャ閉店後ブローニュの森マデいき、めずらしく、ていうか初めて白井を誘ってRAGへいった。ある重大提案を腹の中にいれてだ。ところで、黄金の第5期は完全な私のワンマンバンドだった。基本そういう傾向のあるシャウターズであるが第5期は徹底していた。練習時の司会は当然として意見ていうか命令及び罵倒を繰り返す私。

エレカシはその上をイクらしいが(メンバーシバく) ※大士談

とにかく、爆速でステップアップを目指す私は対バンが全てシャウターズよりウマいと感じあせっていた。マサに「となりの芝生はブルー」だ。良く言えば「向上心」悪く言えば「横暴」。そのおかげで当時の青い私ではワカらない良さを培っていったのだ。
で、夜に戻すが、んな状況が有名でもあったし私一人でイクのが普通なのだが、メンバーを呼ぶぐらいの重大さを示すタメと、実は心細さとで一番インパクト(意外性)のある白井と一緒に入店した。秋葉さんをテーブルに呼びつけマイボトルを飲みながら世間話でお茶を濁しながらも勇気が出ずだらだらと時間が過ぎる。業を煮やした白井にうながされ、せーので

「ワンマンライブやらせてくらさい」

と言った。動員的には問題ないとはいえワンマンライブはマサにその店の看板を背負う。そんながカケダシでヘタクソなシャウターズにあるとは思えず門前払いを覚悟の上だったが秋葉さんは

嬉しそうにニヤつきながら快諾

してクレたのだ。そして彼のボトルチャージまで払いココはスナックかと思いつつ本番マデのシュミレートをしながら帰った。普段の盛況サなら大丈夫だがココはヒトツ今までにない盛り上がりが必要と考えあの手この手でチケットを売りさばき仰々しいDMを出し当日をムカえた。

客であふれ返ってる ※120人

感動した。手作りの記念本も配った。あとはヤルだけ。1部は私がハンドマイクでギター1本曲集。かつRAGに初出演したトキと同じ衣装(謎のBATMANファッション)で師匠のアジテーション~「バットマンのテーマ」→新曲「シャウターズのテーマ」から始まった。無難に終え楽屋で休憩してルと秋葉さんが「どや?」と様子を見にキテくれる。そして2部。いつぞやの喫茶店以来、ていうかブッキングでは初めての私の弾き語りからスタート。長丁場に変化をツケるタメと秋葉さんの提案だった。そのおかげで史上最大の緊張が生まれるもナントカ最後の「たばこを買いに行こう」になり、途中から何故かスーツを着た他のメンバーが現れバンドサウンドになるというカタチ。ちなみに私はパジャマなんでものスゴいミチマッチだった。後はギター2本の曲を連発し最後が新曲「と・め・て」。日本ロック史上に残る曲を残し楽屋へ引っ込む。アンコールの嵐にこのイベントの成功を実感しつつ斎藤由貴の「卒業」にのって学生服を着たメンバーがステージに再登場。ウケる。そしてベースは次回からヘルプしてクレるのが決定してたタバコ君で白井はタンバリン ※ブローニュで慣らした
さらに特別なイベントというコトでゲストを呼ぶ。REPLAYSだ。場内の盛り上がりも頂点に達するナカRAGをオールスタンディングにさせ ※かなり珍しい
一人一人が歌ってク「僕の車にのりなよ」で大R&R大会。エンディングは師匠が決めルとこが意外性があって最高でしょ。そして2曲目がホントのラストで白井がハンドマイクで歌う「あの娘のハートにダンクシュート」。そう、彼はこのショーをもって学業専念のタメ脱退するのだ。大量の花束を彼がもらって終了。私としては無事イベントを大成功で終われたコトに安堵感をオボえた。やっぱワンマンライブは違う。普段ライブをやるのが当たり前のよな状況下でのものスゴい刺激だった。今までの努力が報われ、さらなるヤル気が出た。シャウターズがRAGに出演するようになって丸1年の夜だった。

ちなみに上記の私の命令だが後日ていうか10年後にこの夜以来2人でツルんだ白井から

(当時)何言ってるかワカりませんでしたYO」

と言われ恥ずかしかったよん。
2003/09/25木  the shouters 4thアルバム完成

宝物がマタ一つ増えマスた。実は昨日旧アスロン君がブッ壊れてその復旧作業に半日以上カカり半泣き。最近調子悪かったけどナントカCD完成マデは持ちこたえて欲しかった、電源入りません。そしてCドライブが物理的にイカれてる感じなんで愕然。メールやら作業ファイルはEドライブなんで∋米蔵∈ホドの悪夢ではなかったけど

作りかけのジャケット

やデスクトップのヒシミラクルの写真や前日徹夜でスキャニングした写真が永久になりマスた。そして新アスロン君に全部組み込むのも大変。 ※ドライブ、DVD-RAM、アプリetc
そんなこんなで

MIXDOWNはワリとどーでもヨクなり

深夜第一弾を焼→MDダビングしてネイキッドで視聴し酒飲んで起きて本日ほとんど変更せずFIXさせマスた。出版物系も大急ぎで作りホント今日は大変でした。
作品はアプテンポ主体の8曲となっとりマス。 あっとタイトルは

「2003秋味」

デス。10年の時を経てあの頃がヨミガエル仕様なんデス。今回は何気に自信作デス。サイトの方も明日には公開しマス。明後日からは京都にいってきマス。白井をはじめ関係者の方々お疲れさん。それじゃ今からドッグベリーへ泥酔しにイキます。この一ヶ月間ほとんど外出せずにタクワエたヒゲとトモに。
自己記録かも
2003/09/24水  the shouters初期の黄金時代 (1993年春夏秋冬)

キタ君脱退もブッキングは決まってるのでまたまたメンボ。警備員正社員の妙な人を、コレといった長所がないコトを理由に断った後で清水君と知り合った。トラックの運ちゃんをしてる彼はタッパもありルックスも良く何よりグレートコックパワーズという地元有名パンクバンド出身だった。スタジオに入ると何の問題もないので無事加入。かなりイイ奴で練習後は木屋町の新福菜館にイキよくビールをおごってクレた。本人が全く経験ないというコーラスも私よりウマく新曲「動けない」のグレードがアプした。年齢も同じやしこれはきっと私のロッカー人生を決める人だなあと思ってたら

失踪癖を現した

ソレまでも仕事の関係(高速道路渋滞)で遅れるコトは度々あったけど連絡ないのは初めてでしかもライブ直前の重要な練習に姿を見せなかった。今後よりもそのライブ自体心配でしかたなくライブ前日に快人が彼の家マデいき車があるのを確認しホットしつつ当日の登場を待った。何度もワビるも理由は言わない彼との初ライブ。O村の告白生テープをSEに、私はJリーグ開幕前のヴェルディのユニフォームを着て挑み、サスガは慣れてるのか、Dr清水くんは直前練習ナシで無難にマトめてクレた。打ち上げも普通にやりこの(失踪)件は忘れてこれからもがんばろう、と誓いあったキリ彼は二度と姿を見せなかった。以後、年明けのRAG初ワンマン時にTELが入り、祝福と悔しさを示したが彼とはそれっきりだ。
話は前後するが、Dr探し前後に遊びでファンのくにぴょんとあおいちゃん、そして快人と4人でウィスパーズ(ささやく人達)と称してスタジオに入りシャウターズの曲をやったら

今までのどのDrよりもくにぴょんはウマかった

吹奏楽ゆずりの正確さと男勝りなパワフルさ。あのロック天国でファンのみならずメンバーまで得ていたのだった。清水君失踪で迷いもなく彼女を指名し逆に加入に対し感動してる高校を卒業したバカリの彼女を含め最初の黄金時代である第5期がこうして始まった。清水くん完全失踪の4月のライブ以降も間をアケず5月から始動し、磔磔、拾得、VOXホールそして京都ミューズホールとRAG以外のライブハウスにも進出したし夏休みには週3回練習もやった。ラジオで「のんびり屋のケン太くん」のスタジオTAPE生録の音源が流され歌詞が大絶賛された。またユニコーンの大ホール(京都会館)コンサート時に突撃路上演奏も敢行し新規顧客もゲトした。ライブは月1回以上必ずやりかつ毎回新曲披露。タフなスケジュールの中がんばった。途中からMC専属の中西師匠も登場するようになりコミカルな快人のトークともども人気を不動のモノとし、動員も安定してイツも大盛況。この頃からRAGでは

シャウターズという動員バンドはヘタクソやけどノリがある

とウワサされ対バンしたいバンドNo1としてもシーンでも名が知られるようになった。一生の友となるREPLAYSとも知り合った。打ち上げは数十人で朝までラムコーク飲んでバカ騒ぎしてた。とにかく曲をたくさんやった。新曲は大体1曲目かラストに配置し、2~3回の練習のみで初披露する時が一番スリリングでかつデキが良かったよな気がする。そんな生々しい音を集めた「SHOUTERSの全て」は売れに売れた。今でもタマに聞くとヘタクソな演奏と音痴なVoのノリノリ具合がまさにミラクルだ。とにかく全てがウマくいっていた。んな感じで、白井が抜ける年明けマデ4人の青春が加速していったのだった。
2003/09/23火  中西師匠詩の朗読を国際電話にてREC

しマスた。今回のアルバムは10年前のシャウターズの再現というコンセプトなのですがそれならと御大にも久々に登場してもらったのデス。お昼にTELもらいマスたがあっち(アメーリカ)は夜の11時とのコト。13時間の時差ですな。マズは挨拶ナンカして日常の会話(文化の違いの苦しみ)をした後リハーサル。 ※電話機のスピーカにマイク(今回ダケはSM58←他の音を拾わないタメ)向ける
ココで事前にメール打ち合わせしておいた文言が変わる。そう

昔もそうやって作ってた ※バイト中

昨夜当時のボツ詩のDAT聴きながら大爆笑してたんデスけど生はやはりイイ。イントネーションがビミョーになるトコがイイんデス、味がありマスぜ。本番を3テイクほどRECって終了。それからもトメドナク話てアメリカでの再会を約束して切りマスた。1時間ぐらい話してたけど大丈夫かな?
今日はこの1大イベントがあるので早めに起きてて詩REC後もどんどん作業した。昼~夕方にカケてGソロ入れとか。詩RECの修正も軽く考えてたけど悪ノリして長時間カケちまいやした。どんどん材料が揃ってキテMIXが逆に大変であっという間に深夜に。後は

当時使ってた笛の音を入れるのみ

なんだけど現物がどうしても見つからず代用品は音が全く違うのでドンキホーテにいったけど

おいてない ※ツブれろゴラ でも安い酒とツマミよ~さん買うたゾ

んで明日東急ハンズ逝きを覚悟してマス。それを含めて明日でほぼ完成のハズ。
苦肉の手法
2003/09/22月  アルバム製作が佳境

デス。けっこう規則正しい生活をおくってキテたけど土曜の夜なんか寝れずに半徹夜状態で翌日曜の朝の白蟻駆除立会いになってしまいその後爆睡して1日の作業量が激減しあせり気味で今日を迎え結果チト遅れ気味デス。でも

もうやり直しはデキない

日なんでチューニングは狂ったママーのR&Rになりそうデス。ところで、「遅咲きの花」から数えて今回で7作品目。音質や作品自体のクオリティ向上も当然目標にしてマスが

燃費をヨクしたい

迅速な作業はナカナカ取得できません。結局1曲のVoの材料選びに2時間とかカカってマス。やり方の工夫がもっと必要ダ。演奏力の向上もスピードにつながるケド。
ナンダカンダで今回も滞りなく終わりそうデス。あぁ早く完成版を聴いてミタヒ。
2003/09/21日  逆の人バンド発進 (1992年冬~93新春)

大評判のシャウターズ初陣を終えメンボにも熱が入る。ある日PLAYERの告知経由でヘタクソな字でローザルクセンブルグが好きでギターかVoをやりたいというヤツからハガキが届いた。そして待ち合わせ場所の四条木屋町の不二家の前に立ってたのが

快人(はやと)

だったのだ。背は高く痩せてるが笑平バリのルックスはどうなのヨンと思いつつガネーシャに連れてイク。言葉少なでコイツ暗いなあと感じるも

(コイツなら)言いなりになる

と直感で判断し豪華具材入りの袋のラーメンを食わせ恩を売った後、テキトーにウクレレかなんか弾かせオーディション合格とした。一生懸命にブルーズフレーズを弾こうとしてた。マサに運命的な出会いだった。
後のリズム隊探しで苦しんでルと系列店のブローニュの森にミュージシャンがいるという情報を聞きつけさっそく店を訪ねた。Drのキタ君は年齢こそ1コ下だったが職場では1年以上先輩。板前社会なんでどう考えても敬語が普通だが

バンドのどさくさでタメ口

にするコトに成功しつつ快諾を得た。縦社会だけに彼の後輩の白井(B)は選択の余地もなく名前をかさね4人そろったのだ。練習は店から歩いてイケるスタジオMu。3人の時は四畳半ぐらいしかないCスタだったが一人増え広い部屋に移った。やたらハシるDr、ほぼルートのみのベース、コードカッティングのみのG2本でどんどん曲を作っていった。ブローニュコンビはBoowyファンで普通一緒にヤリたくないタイプだったが、出勤時にいくらでもミーティングできるしイイ感じでバンドになっていった。そう、眠たい目をこすって昼の3時から2時間練習をしてから出勤してた。その時間はスタジオがら空きでナニカと良かった。そしてライブがやってキタ。そうこの(ライブ)のタメに練習してるんだから。場所は市内外れの八瀬遊園という遊園地の中にあるロック天国。ビジュアル系で有名なトコロで当日デカいバンドのゲスト出演もあった。倉もっちの曲のSEで登場し、セッティング後浴衣を脱いだら中学時代のハンドボール部のユニフォームに身をツツんだ私の笛の音とトモにライブスタート。常にバカ話をするバンドの雰囲気からギャグを連発しことごとく受けた。それに気を良くし

以後10数年受けをネラい続けてる ※私の方向性が決まったショーだった

大成功な演奏後、十分な安堵感とトモに楽屋で「あの(デカい)バンドのDrってヨク見るといじめられっこタイプやな。絶対Voにヤラれてるて!」とバカ話してたら

となりの部屋から笑い話が消えた

ゲストバンドに見つからないよーにソソクサと八瀬遊園を後にし木屋町マデいきメンバー+ワンフで打ち上げ。我らだけでバカ話をしてたのでワンフは帰ったけど楽しかった。そん時に快人の高校時代の話を聞かされ、それをそのまま歌詞にしたのが

20番

である。とにかくバンドはウマくいっていた。そして次なる目標をブッキング出演にする。実は(エロリアンズ含め)それまではレンタルイベントで金さえ払えば、というモノだった。ブッキングにはTAPE審査やライブ審査なりのオーディションがある。ホントは磔磔に出たかったが敷居が高そうなんで以前軍団のヤツが目標にしてたライブハウスに震えながらTAPE持ってった。そして

RAGの扉を開ける瞬間が日本ROCKのスタート

と思っとりマス。小山田みたいな店員(多田さん)が丁寧にそれを受けとり、ガネーシャに戻った。何日か経って夜遊びの後5時ぐらいに絶叫オフィスに戻ると留守電が入っててこれまた震えながら折り返した先に「スゴい時間にカケてクルねぇ」と発言したのが

秋葉さん

だったのだ。年明けに初出演が決まりガンガン練習してチケットを売りさばく。2店舗の客に売るのでドンドン枚数を重ねた。満員の当日。一応オーディションなので気合を入れすぎる。ガネーシャ店長O崎さんから魂ごと借りたFenderツインリバーブはぶっ壊れてたし気負い過ぎた。ラストの新曲「20番」マデ挽回デキなかった。カラまわりして散々なライブだった。落ちたと思いうなだれてルと秋葉さんが

「ライブを練習だと思って数こなせ」

と言ってクレた。私のキャラに未来を感じたとのコト。実は就職でキタ君の脱退が決まってたのでアテはないもののとりあえず4月に入れてもらい多額のギャラもらって後にした。確か打ち上げは取巻きサバきに忙しいキタ君以外の3人でもつ鍋屋にいったっけ。安かったので十分おつりがキタ。
またメンバー探し(Dr)だが不思議と自信があった正月明けだった。
2003/09/20土  白井ベースREC at 絶叫オフィス 3回目(最終日)

雨の降る中最終RECにやってキタ白井。今回は最も不安な2曲だったけど3回目ともなれば彼も私も慣れたモンで難しい箇所は

あっさりアキらめ

可能な限り細分化して使いまわしたりして不安な部分は意外とすんなりイキ妙な部分で苦戦しつつも各材料3~4テイク録って完了。後は私がそれらからチョイスするという難関が待ち構えてルけど白井部分(B)は滞りなく終了しマスた。そしてCho入れやBass中心の全曲チェックなんかして(彼の)最終日は終わりに。とりあえずはお疲れの乾杯。毎回嫁はんの顔色伺いながらよう来てやってクレた、感謝。というコトで来る第二フェーズでマタがんばって欲しい。
さあ、あとはGソロ入れやCho取り直しや最終MIXや出版系か。来週木曜日に完成→ドッグで泥酔を目指し最後の追込みデス。

追 「タクシー・ゴー」はGソロ入ってない状態で白井が鳥肌デル程度の進捗デス
ヨクがんばった
2003/09/19金  OPKINGを見にいってきやした

at川崎クラブチッタ。このハコ自体何気に初めてで、改装してなんかテーマパークのようになっててスゴい。赤坂BRITZリキッドルーム渋谷AXのごとくオールスタンディングでは最大級の広さやけどココが元祖なんだよねえ。そして前座のPENPALSを見る。詳しくないけど3人→4人になっててVoがベース弾いてたのがギターに持ちかえてて結果G2本になってるけど

ソロ無
※新しいROCKか

に衝撃ウケました 。そしてOPKING。倉もっち、民生、ハル様という夢のようなバンドだ。ただしバンドは足し算にはならないというコトが最大の焦点でそれを最も注目してた。ぶっちゃけギター部分はどうするのかと。オーバードライブ皆無なホンワカしたR&Rが始まるが

ギターはメイン民生だ ※こっちはけっこうイケる

バンマス倉もっちは言うほどリードVoは取らずタマにヘナチョコなGソロがあるのみで

ミラクル・ボスと変わらないレベル

R&Rダゼ、倉もっち。3人が交互に1曲歌ってく構成だ。全員で順番に歌う曲とかもあって民生の歌のウマさが突出してて萎える。そして禁断の

持ち曲コーナー


もはやバンドの存在意義も問われる瞬間だが倉もっちの枯れたCM曲の後、民生のシングル曲でぶっ飛び、ハル様のピーズ初期の曲で昇天した。そう、倉もっちは終始仙人やったけどハル様は

終始民生に勝負を挑んでた

これだな。ピーズよりもMC多かったぐらいだ。このバンド自体次のライブで最後みたいやけど個々の現状を露呈したライブ、てかバンドやったと思いマス。

追 民生にことゴトくハモるハル様に涙
2003/09/18木  the shouters誕生 (1992年夏)

エロリアンズ以降全身全霊でメンバーを探す。カタギに戻ったIズミとK島は遠慮してエロリアンズからはDrのいちおう(プー)をキープ。そして木屋町界隈を飲み歩いてたまりちゃんをベースに迎え3人でオールド楽器のメッカきんこう楽器のスタジオで練習。しかし後者は

ほとんどベースを弾けない

人なコトが発覚し前者も謎の自信のなさからフェードアウト。あっけなく終わった第一期シャウターズであった。以後もDr脱退の度いちおうには執拗に加入を促すも固辞。ドラマーよりもジュンタ(J(S)W)の付き人になりたがる変なヤツだった。
話を戻して、それからも楽器屋や雑誌メンボをカケまくる。そして「バンドやろうぜ」ユーロというB(タマタマ同じ大学)がひっかかった。「気合」という言葉を連発してプロ志向なクセにかまいたちのコピーなバンドの面接に嫌気がさしてた彼はエロリアンズのライブビデオを見て

ぜひ一緒にやろう

と言ってクレた。ベース自体はヘタクソながらも熱い奴で魂のコーラスが当時ツルんでた軍団にも評価された。Drは紹介でぼんという奴。客席から見て右側しか叩かない独自のスタイルも妙なノリでO崎さんに評価されてイタ。何よりARC DUEXでの初ライブで

シャウターズが評価された ※超モテた

エロリアンズの時はキワモノ的だったのが、帽子・Tシャツ・半ズボン・バスケットシューズ・リュックと全てChampionで統一したポピュラリティ獲得志向及びギターソロ皆無の3ピースR&RでマニックストリートプリチャーズのSE(当然モータウンジャンク)とトモに登場した。全曲オリジナル。「無念」から始まって「こっちはキツイぜ。」で終わる9曲。実はバンドの状態がイマイチであまりワクワク感も気合もなくサラっとやったのが逆に良かったみたいで、未だにあれがベストライブだと言うオールドファンもいるぐらいの初陣であった。あまりに反響があったので自分のやろうとしてるコトは間違いじゃないと確信し、ユーロ、ぼんとは別れるも次なるメンバー探し及びシャウターズ中心の生活にどっぷりつかってクのであった。
2003/09/17水  金使ってません

タバコ買うぐらい。財布の中身が減りません。仕事を辞め久々のプー状態デスが交通費もバカにならないし外食も多かった。後者は今の状態でも増えそうやけどメンドくさいし近場でテキトーなトコもないので自炊ダー。夜は野菜炒めのっけラーメンか月見そば。後者は鰹節たっぷり入れると2ランクアプ。てな感じやけどダラダラしてませんよ。RECが私を追い詰める。

やろうと思えば1日中デキる

ワケで。ただし精神的に持たないので半日ペース。それにしても過去の作品の時の数倍の時間/日だ。でも時間内は

ダラダラやってます

「Scroll Lock」2連打+「↑」で旧アスロン君の画面が出てネトサフィン。ちなみに今回のアルバムは古い曲中心で小細工せずカツ~ンとイキます。ひょんなコトから1ヶ月弱あいてそれで8曲やろうとしてるんだからこんなモノ。でも副産物としてCUBASE全般とPOD、MICの認識が爆裂向上しレイアウトも機能的になってイル。使えるエレキギターが2本しかないけど。。
何の話かワカらなくなったけどあと1週間でカットオーバー。ジャケットやらに加え今回はサイトも作るつもりなんで

デキるだろーか

とドキドキしながらダラリとやってきマス。 全曲MP3で落とせるよーにもするんで聴いてくらさいヨ。
2003/09/16火  黎明~エロリアンズ (1991年春夏秋)

大学デビューシリーズでも述べマスたが、バンドサークルに一旦入会するも挫折して人形劇サークルに移ったコロ、級友とツルむナカ一番仲の良いO村の部屋から持ち帰ったGIBSONハミングバードモデルのフォークギターを真心ブラザーズの「海」「ダンプ」を参考に弾き始め1週間で処女作「一番高いやつをおくれよ」を完成させたのを皮切りに「コンビニの姉ちゃん」や「開かずの扉」等ゾクゾクと自作曲を作ってイキますた。そんな中タイミングよく級友の一人Iズミが話をもってキテくれ

喫茶店で生まれて初めての演奏

を果たしマス。当日は気合いれてブレンビー(ビデオカメラ→ライブ取りまくりで昇天→数年後フリマで外人に3000ペソぐらいで売る←録レません)まで買う始末。舞台慣れはしてたものの歌を歌うのは初めてだったので逃げ出したいぐらい緊張するもナントカ自作曲がを披露デキますた。さらにIの提案で級友でバンドを結成しないかと最高の流れになり彼とK島がギターであまり仲良くないクラスメートにDrとBを頼みマス。今思えば50人のクラスなのによくバンドが組めたもんデス。大学近くの月光堂という楽器屋のスタジオで練習。最初はストーンズThe WHOビートルズブラックサバスのへなちょこコピーでしたが次第に私の裏工作で泉谷しげるのコピーとなりツイに

大学のイベントに出演

ちなみに学祭でもない単独イベントで3日間で学内のバンドが50出るという意味不明のモノでバンドブーム真っ盛りを物語っていマスた。戦闘服を着て望みアグレッシブでイタいライブを敢行し家でビデオを1000回ぐらい見マスた。そしてしばらくしてリズム隊は脱退済の中、ライブハウス出演の話がキテあの手この手でDrを外部からゲトしK島に頼みこんでBを弾いてもらい

本番のARC DUEX

をムカえますた。私はエレカシ宮本ばりの白シャツに頭のデカさが倍になるぐらいの(ダイエー)スプレー噴射ヘアー、Iズミはジャージにハチマキという前衛的な衣装でアメリカ国家(じみへん)からまたしてもアグレッシブな演奏を披露。曲はピーズとかロッカーズ(可愛いアノ娘)とか。そしてラストでオリジナル「こっちはキツイぜ。」を。あんなに興奮した夜はなかったデス。宴後にIズミや合コン仲間と歩いた木屋町通りが忘れられません。そう、このバンドはIズミがいなけりゃデキなかった。もともと我らのリーダー格(率先して合コンをセッティング←美人多)だった彼が、プライドよりもバンドの運営を優先し私をタテてクレ、不本意なBをやらされるK島と(私が)衝突したトキには一升瓶を持って彼の部屋にいったと

ライブ後聞いた

地元に帰って高校教師をするためバンドはソレっきりで私も前を向いてるタメ誘いもしなかったけど、上と下の年齢(及び上下関係)主体の歴代メンバーの中で唯一対等な関係だったと思う。もっと一緒にヤリたかったな。彼がリードボーカルの「ドントレットミーダウン」も良かった。今さらながら感謝したいデス。
こうして完全にこの世界に足を踏み入れた私は次なる完全オリジナルバンドthe shouters結成に向け日々メンバー探しを行っていったのでアール。
2003/09/15月  阪神優勝

「ち・や・ほ・や・さ・れ・た・い」のギターをやっとの思いで録り終えた時に中日が負け18年ぶりの優勝が決まった。当時はあまり野球に興味がなかったけど日本国中の盛り上がりは忘れてない。京都にいる間に一度でもその盛り上がりを近くで味わいたかったが叶わなかった。毎年優勝争いはおろか最下位脱出すらデキなかったし

一生あの盛り上がりは見れない

と思ってた。野村監督でダメだったので確信してたのだが、星野監督が男を上げた。プロ野球史上に名を残す名監督となった。金本、伊良部、下柳そして昨年はさっぱりだった2年目の片岡までもが大活躍し(FAがこんなに成功したのは初めてではないか)生え抜きも続々続いて

新庄が帰ってこれない


ホドの層の厚さ。このヤリ方(金のカケ方)を続けられる限り毎年我が巨人軍と優勝争いを演ずるコトがデキよう。さあ、皆戎橋からダイブしてるな。私は焼酎でも飲むか。
2003/09/14日  初の東京ツアー (1996年夏)

そん時のシャウターズのメンバーは最強15期が一旦終了しG快人は残留、Drくにぴょんが復帰、そしてBに新人という布陣で間を開けずの活動。ちなみにニュ^フェイスはもみ造というKinkiKidsの堂本光一似ながらもMAX並の狂人京大生でメンバーよりも対バンした快速バビロントレインの方に心を開く個性派だった。そんな中、すっかり仲良くなっていたJUMPSの島さんに口を聞いてもらい好条件で初の東京ツアーが決まる。当初はシェルターを希望したが徐々に敷居が高くなってキタとの理由で同じシモキタで格(?)を落としつつも初日ガレージ2日後屋根裏で、ツアーバンドなんでノルマ無しギャラバック有りという

今じゃありえない

待遇を頂き早朝京都東インターに飛び乗る。免許取立ペーパーなのに快人のオンボロ車のメーターを振り切ってバカ笑いしてるもみ造に恐怖感をオボえつつお昼過ぎに用賀インターに到着した。東京は道がデカいなあという印象だった。246経由で環七へ出て井の頭通りとやらを探す。あまりの小ささに何度か通り越した後やっと発見 ※今にしてみると甲州街道か方南通りまでを数回往復してた
そろりとツキ進み地図と見比べてナンカ民家の間をすり抜けてくと一番街のはしっこにある専用駐車場(当時2台ほどガレージが所有)に到着。商店街を見て

場末 ※個人的に受験の時とかでビビりながら歩いた渋谷や新宿と比較してしまった感があったか

と感じてしまう田舎者であった我々は、島さんから京都唯一のシモキタ系という称号を頂きかみ合う対バンを探してココまでやってキタ。同系統のバンドがいるなら

我らの価値がワカる客もたくさんいる

と信じていたノダ。機材搬入し挨拶もすませ地下の会場を垣間見てあまりのセマさに逆にフルハウス感の期待を持ち他のバンドのリハを見てたら

えっ!?ていう感じ

そもそもピーズ(シモキタ系の総帥)の香り皆無でビビる。ライブ自体も客少で何のタメにはるばるキタのかと思いながら演奏してしまった。終了後、宿がない私と快人はとりあえず銭湯へイキ朝まで車の中で暑くて寝られず起きていた。次のバンドが来るまでにと(ガレージの)ガレージに別れを告げ車を移動する。
※当時下北沢ガレージは提携駐車場があり格安で1泊貸しをしていた

テキトーに走り代々木上原のコインパーキングに止めて小田急線にのってブラブラ。都庁の上の方まで上ったりとか意味不明な行動をしつつものスゴく眠たかったコトを憶えてる。寝れる場所を探した結果だったが

山手線でぐるぐるマワって寝ときゃ

良いナンテわからなかったのだ。夕方になり島さん宅へ。職業がロッカーだけにそれっぽいアパートを予想してたらトンデモナイ豪邸でホームバーのカウンターの中から迎えてクレた。ブルハ等マニアックなビデオ鑑賞と酒をいただきツツもすぐ落ちていった。翌日が最終日の屋根裏だが近くのウマいラーメン屋

ラーメン二郎三田本店

へ連れてってもらいカルチャーショックを受けた。腹をデカくして屋根裏入り。ガレージよりもセマくどうせ今日も同じよな感じだろう、よっしゃあ俺らは京都代表だと腹をくくり爆裂ライブをカマしてお店に気に入られ多めにギャラを貰ったのだ。打ち上げは王将で餃子とビール。疲れはピークながらもテンションは頂上の状態で用賀インターを目指し深夜でも渋滞する東京にビビりながら静岡あたりで運転手以外全員落ちてルナカ明け方京都についてマズ山科ムカデハウスの私から降ろしてツアー終了~溶ける感じで爆睡、とこんな感じの東京ツアーを2年間で6回やった。大体初日のガレージがイマイチで屋根裏で爆発するパターン。けどハコ自体は前者の方が好きで上京後はそっちをメインにしマスた。

もみ造脱退決定後に当時シャウターズのアブノーマルなおっかけだったギタリストやすぼんを強引にベーシストとして加入させサラにものスゴさが増していくシャウターズであった。

追 もみ造脱退直後の新曲「バイバイ」は決して彼に捧げたモノではない。
2003/09/13土  白井ベースREC at 絶叫オフィス 2回目

前回は軽いジャブのよな感じで今回がアルバムの完成を左右する重要なRECだった。嫁はんの機嫌を伺い高級車で抜け出してキタ彼にとって全くの新曲も含まれてたが

ナンダカンダでき

Choまで入れる余裕ぶり。4時間で3曲なら上々でしょう。やっぱBも生がイイね。来週は残り2曲録って計8曲の(ミニ?)アルバムとして月末マデに完成させたいデス。
腹から声出せ
2003/09/12金  「白アリ駆除を行いたいのデスが」 不動産屋のお坊ちゃん

「いらない物はすてよう」のVo録りで最もエモーショナルな部分の時に電話が鳴った。ベル音など楽勝で拾うコンデンサというコトで即効中断し、クーラー・扇風機・換気扇をつけタバコを吸いながらナイスなテイクが失われたコトよりも

苦情か

と腹をくくる。切れたので2本目以降を買って戻ってクルまでに今後の対策を熟考。PC持込でカラオケボックスか、スタジオか。もしくはとなりに面さない洋室に一式移すか。でも上からの苦情なら意味がないし。とにかく怒り具合を確認するタメにもと勇気を出して不動産屋に折り返す。

「建物も老朽化してマスので~」

逆に申し訳なさそうなお坊ちゃんをムコウにガッツポーズ、ていうよりもその由を留守電に入れろ!いっそのコト完全防音工事でもしてクレイ。500ペソぐらい払うから。
3曲ぐらいデキますた。かなりイイです今回。
2003/09/11木  井上康生 世界柔道3連覇

夜7時からのTVなんて全部見れるゼ、ワッハッハー!あまり見たコトなかったのだが井上康生って強い、てか

おもしろい


秒殺の一本しかネラわないんだぜ。 ※本日完全実行
彼のようなんばっかやと柔道も毎回おもろいやろう、てか世界に一人しかいないみたいだが。PRIDE出たがってるみたいやし楽しみデス。
昨夜のサッカー(不完全燃焼)のトキもそうやったがTV見ながら苦手なギターの弦ハリをしマスた。ヤニとホコリだらけのエピフォン君も久々水を得て

ライブではイツ使用されるんだろうか?

と思いつつRECでチト使いマスた。だらだらしながらもノルマをこなせてるのでもっと増やさなあかんかな。
やっぱシブい
2003/09/10水  ミラクル・ボスのページ公開

しマスた。やっとデス。別に今日大士が絶叫オフィスにキタからというワケではございません。RECが思いの他順調に進んだ日なのでサッカー(セネガル戦)が始まるマデをタイムリミットとして敢行。ホントは一発目のライブ前にせなアカンと思いつつ時は流れ

バンドはなくなってた

ラストライブから2ヶ月弱での公開デス。立ち上げ当初からいろいろ思い出してみたりして

長文になりそうだった


んでシンプルに1枚モノにしマスた。ただし写真が少なくて苦労。一つのロックバンドの最低限の記録になりマスた。感謝。

追 柳沢。。
2003/09/09火  2kg増えちまったゼ。。

振って沸いたこのヌルい生活のアオりで一挙にこのザマですワ。数ヶ月間の苦しみが数日で戻ってしまうけど精神的にはマダマダリハビリ必要。でも今回のプー生活は(今んトコ)半日ペースでREC三昧なんで次々作品が発表デキそうデス。ホント、いいペースで作業デキてマス。まあ田町末期の頃から作業始めてたのも良かったけど、何より

FF(orドラクエ)をしない

のがイイみたい。世界平和か作品か。
キリがイイとこまでデキ夜はホルモン焼(渋谷・東京ホルモン)。中野の名店ほどじゃないがやっぱウマい。でも明日から粗食を誓いマス。

追 世の宅REC野郎に告ぐ。コンデンサマイクにすべし。世界変わりマス。
2003/09/08月  鹿取ヘッドに続き斎藤コーチも辞表

阪神優勝(確実)に沸いたセリーグだがそのシワヨセが巨人軍に来る季節デス。にしても淋しいなあ。投手交代の時にマウンドにカケより

ひょっとしてアナタが投げるんじゃ

と思わせた平成の大エースの初めての休息が訪れようとしています。秋葉イク途中「プレイボール」聴いチマったゼ。

追 陣内孝則が監督の「ロッカーズ」。「可愛いアノ娘」コピーしてマスた(笑)。見にイカなくては。
2003/09/07日  今日は私の誕生日デス

月並みデスがメデたくも何ともナイス。長い間音楽シーンに身を置く私デスがこのギョーカイって一つ年を重ねるコトが致命傷なんデス。メジャー展開が遠のくのデス。まあ私の場合

数年前から悟りを開いてマス

が。とにかく昔から正月と誕生日は大キライでした。もともとバンド始めたのが遅く、お客に対し

2段階でサバ読んでマスた

毎年「二十歳だ」と。アホです(笑)。1年経つゴトにチャリンコこぐのも苦しくなってキテますが酒と食い物のウマさがワカってキタよな気もして。話は変わりマスが夜に大沢誉志幸のドキュメント番組やっててスゴく興味深かったデスが番組中何度も

「そして僕は途方に暮れる」を演奏

するのはどうでしょう。あれって違う人が作詞だったんデスね。彼も以後作曲を以来される度その曲風という要望に苦しんでたみたいデス。

じゃあ何度も演奏するなヨ

話がそれマスた、また来年のこの日マデ。
2003/09/06土  チャリンコ復活

昨夜久々ドッグいって一人ジョンの入れたジム・ビームを飲んできたワケだが飲酒運転卒業主義の私としては

永福町→吉祥寺→高円寺


などと乗り換えなくてはならず仕事の帰りとは違い近くて遠い存在を実感。で、今後1日でも長く仙人生活をするタメ(倹約)にとチャリンコの空気を入れる

2年ぶりぐらいに


確かG社末期に南麻布まで45分カケていってた以来と思う。態度の悪い自転車屋を目指すが閉まってて複雑な心境で帰宅、ドンキホーテでかった空気入れの存在を思い出す。足で踏むタイプでけっこうカチカチになったが手が真っ黒。ボロ布でふいてやり真っ赤にサビたチェーン部分に専用OIL

なんかもったいないし第一ナイんで賞味期限数年切レのサラダ油


をおしげもなく注入したらスムーズな音になった。DrMidiが煮詰まったので逃避気味にブラついて

たら前輪パンクロック

だったショボーン。ボロボロやけどちゃんと直すしもうヒトハナ咲かせてクレイ。

追 かといってチャリンコでも飲酒運転なんで飲みのトキはダメやね。ケガも怖いんで。置いてかえる作戦。
2003/09/05金  田町現場終了

昨日免許更新から帰ってキテ爆睡してたらKKさんからメールやらTELやらあって翌日PC引きアゲで完了というコトを聞きパワーでマスた。またズルズルいくのかなと思ってたダケにホントほっとした。朝9:30にドトールで作戦をタテ戦場にKKさんと突撃。Nリーダーは能面のごとく無表情で軽く私をシカトしつつ地下室へ。ロボット的なZさん(一番付き合い古いもこういうキャラ)を除き仲間が気遣って声をカケてクレる。中でも新人R君が淋しそうでココロが痛む。ていうか

Nリーダーさえいなければ案外イイ現場だったかもしれない

客観的に現場を見るとやはり異様な雰囲気。別にトラブルメーカーの私の最後だからではない。いつもこうだった。Nリーダーが「私がやりマス」と言って3ヶ月間活躍した弊社端末から業務書類をサーバーにコピーして消去しようとする。別にこういう時のタメというワケでもないが

C:\
├_ogura
└_資料


と2つのフォルダに全部入れてるのでスグできると思うのにエクスプローラを

スタート-プログラム(P)-アクセサリ-エクスプローラ ※しかも一旦「システムツール」マデ開こうとする

の手順で開き、私が「ウインドウズマーク+Eかせめて右クリクで」と何度も教えたというのに頑固一徹ていうかアホである。あっという間に上記2フォルダもなくなり名残惜しそうに他をさがそうとするがデスクトップマイドキュメントしか思い浮かばなかったようだ。テメエが探してるのは

Program Filesに入ってるんだよ、ヴォケ
 ※悪口満載日記 ちなみに2階層下の「Steinberg」というフォルダ名

絶対見ないと思ってたんで。端末をアケワタサレ2秒で上記を削除しバラす。後ろではマタ仕様変更のミーティングなんかしてる。

もう中国に発注したんだろ?

付き合いきれない。一方KKさんは離れたトコロでふんぞり返って携帯メールチェックなんかしてる。

サスガは歴戦のツワモノだ
 ※つい10数分前に仰々しくワビ入れたバカリ

延々とミーティングしてるので最小限に挨拶をすませ、Y_PMが居留守を使ってるのでとなりの席の東大卒2年生(ガンバリ屋)にサインをもらい後にした。能面を解いたNリーダーがチト淋しそうだった。

振り返ってみと、キツい生活ではあったが初めてSEというモノとCOBOLというヘンテコな言語も経験できたしPJ運営の難しさも客観的に味わえた。私以外のトコでも発火寸前でそれを見届けられないのが

セメテもの救い

だ。ただし新人R君が気がかりだ。彼に火の粉が飛び散らないコトを祈りつつマタ飲みに誘おう。
タクシーに引きアゲ物をツメ込み弊社まで。ダベった後

初めてメシをオゴル


一旦断ったものの照れながら快諾してクレた。秋葉LAOX近くの寿司屋で1250×2ペソ。ウマ過ぎて夜も同じぐらい安いらしいので秋葉デーの度にイクことにしよう。ていうか

金でモメてマス

ある程度覚悟してたケド○ECはヤクザです。こんなに進捗がヤバいと

Zさんのレビュー記録を ※当然私のを送るベキ

送りツケてきやがったと。弊社一歩リードか。ただし9月の2日間の5万ペソは多分無理だ。イタ過ぎる。てかNリーダー社が板ばさみ。一番の悪党は飲み会の時、関西弁で私をののしったY_PMだったのか。とにかく

接待もしたし
KKさんに全てを託し今月から金をはらってクレるというGジマさんの言葉も信じて長期休暇を乗り切りタイ。本来は26(金)マデがんばって金モラッテからTOPページのビールの写真を取りたかったがそれならきっとマタ一悶着あっただろう。腹八分目で、いやもう十分デス。 とにかく、お疲れサマー、私
自分で連続撮影
2003/09/04木  免許の更新にいってきマスた

もうすぐ誕生日なんでこの機会に。でも大士から誕生日の1ヶ月後までOKに変更された、というコトを聞いてたので多忙な中、スキをみなあかん状況であった。でもヨク考えてみると

誕生日過ぎて捕まると無免許運転では

ゾー。やっぱ誕生日前が王道と見る。9時に出発。逆向きのガラガラさの中、富士見が丘ドマりをくらいながらも吉祥寺の改札を出た瞬間

ハガキを忘れたコトに気付き 逆もどり。必要物 免許証・ハガキ(更新連絡書)・手数料(違反なんで3,950ペソ)
で、絶叫オフィスに舞い戻りハガキをサガスがナイ。寝ようかなと思いつつ

持参してたバッグの中に発見

愕然としてまた井の頭線へ。サラにすいている。 吉祥寺で中央線に乗り換えるもこれまた逆方向(新宿とは)なんでガラ空き。武蔵小金井にあっという間に到着しバスに乗る。府中免許センターは更新の他、免停がらみとかで何回かキテるのだが都度せっかくやからと有名ラーメン店にイコうとするも駅前を30分ぐらい歩いても見つからずの繰り返しだったので今回はガイドブック持参。すると駅前ではなくバスでイカなあかんらしいコトがワカり7種類もあるバスの中からいつものってたこのバスの

車内放送で宣伝されててバス停も認識

しニガ笑いでダルいセンターに11:00に到着。3年前のあの頃を思い出す。相変わらずの流れ作業で超速で目の検査マデ。未だ裸眼の私だが田町現場のヘビーワークのおかげでちょっとぼやけててコレをクリアするのが最大の難関だが

書類しか見ていない検査官を横に、両目でしっかりあっさりクリア


毎回こうだがとりあえずホッとした。次は写真撮影。前回は金髪&勝負アロハだったが今回は

目にクマ&近藤不動心T-シャツ


で挑んだ。で、次は講習受付でこの時点で所要時間10分。プロの仕事にウナる。ただし講習は12:00~というコトでタバコを3本ぐらい吸って2時間ガマンして終わり。ん!?今回は飲酒運転で人身事故して牢獄イキのビデオがなかったゾ!?

それは免停講習の時の定番デス


楽しみにしてたのにな。いよいよ念願のラーメン屋へ。角煮ラーメンが有名なまんぼう停だ。貫井坂下バス停からスグというあいまいな表記がしてあり窓からキョロキョロ探してると

シャッター閉まったその店を発見


し「次降りマス」ボタンを押したのは私のみの中開き直ってナンカの間違いと祈りつつ下車。だってガイドブックには火曜定休及び昼休憩はナシと書かれてる。ボーッと歩いてかなり通り過ぎ次のバス停までいってしまい引き返すと確かにスグあった

何故か「今週一杯休みマス」と書いた張り紙が

「一生この店とは縁がないな」と思いつつ次のバスを待ちネラいを別の店にサダめ揺られる。こっちは駅から歩けるが12分というのが迷う。駅前の交番でポリに尋ねると

免許試験場の近くダヨ

と言われ即断念。ガイドブックにも難有りと見た。こうなったら絶対武蔵小金井でメシ食ってやると歩き倒し回転寿司でマズい寿司と冷酒を飲んでやったゼ、ワッハッハー。話は変わるが昨日の昼、永福町に住み始めて5年間ずっと気になってた天ぷら屋(島さんの同級生O川さんイキつけの店)に初めていった。外からはすりガラス等で中は全く見えず入りずらかったのだが勇気を出して入店すると思ったより広い店内は

おっさんおばはんらが酒飲んでた
 ※2時トカ

安くてウマくて店主の愛想もヨクて私も仲間入りしたいと思いつつ格安の定食を食った。昼酒は柳沢きみおも推奨デス。
そんなこんなでまた3年後に会おう、免許切替と昼酒。
疲れきってマス
永福町→吉祥寺 京王井の頭線 150ペソ
吉祥寺→永福町 京王井の頭線 150ペソ
永福町→吉祥寺 京王井の頭線 150ペソ
吉祥寺→武蔵小金井 JR中央線 170ペソ
武蔵小金井→試験場正門 バス 210ペソ
手数料(講習料) 話のウマくない教官 3950ペソ
試験場正門→貫井坂下 バス 210ペソ
貫井坂下→武蔵小金井 バス 170ペソ
寿司 場末の回転寿司 2180ペソ
武蔵小金井→吉祥寺 JR中央線 160ペソ
吉祥寺→永福町 京王井の頭線 150ペソ
 
7650ペソ
なんでこんなヘンピなトコにあるんだ、運転免許試験場。 ていうか明日で田町現場終わりデス。
2003/09/03水  辞めれそうだ

おもくそ寝たった、気持ちイイ。KKさんも好意的に動いてクレてるみたいやし。そら契約通り今月末マデマットウすりゃビールもウマかったやろし

金も入る

んで悔しいケド現場運が悪かったというコトであと少しの辛抱

のハズ

デス。まあそんなにナイと思うけど残り14日
2003/09/02火  強い人ナンテいねぇよ

昨夜は月初(ていうか月曜日)だと言うのに23時マデ働かされフラフラの状態のママ朝の山手線をムカえた。運がよければ途中で座れるので恵比寿でそれっぽいスペースにワリ込み虎視眈々とネラってると目下に座ってる姉ちゃんがブツブツ言いながら使い捨てカメラをパチパチやってイル。私も撮られキショいぜと思いつつも目黒で彼女の隣が空き、疲労から気にせず座った。見た目はいたって普通の女だが相変わらずブツブツパチパチとやってイル。そして繰り返してるうちに、五反田を過ぎたあたりで文言がワカった

「ヒトリじゃ何にもデキない弱いヤツ」  ※時々かむ

を延々と繰り返す。どうやら私もその内の一人と認識されたらしい。大崎あたりでシャレで注意でもしてみよっかな(もしくは「やっぱ皆そうかね?」と聞いてみるとか)とも思ったが刺されたら怖いのでニヤニヤしながら、近づく乗客全てにその行為を行う狂人の業を観察。したら品川で席をたち終わりかと思ったら

違う車両へと歩きダス ※ウォーキング中もブツパチ

どうやら標的がいなくなったらしい。SOLD OUTというコトか。田町なんで現場のコトを思い出しブルーになりつつ下車していつもの階段を上がると

3段先を上がるカメラ女がいた


○EC春○ビル行きだったらどうしよとワクワクしながらもやっぱ行き先をツキとめるべきか!?と悪魔の声、ん!?

てかOLかよ 
※場所柄可能性高

いつのまにか見失い目的遂行デキズだがきっと毎日やってるんだろーな。とにかく毎朝9時の田町にムケ渋谷より先から乗ってるに違いない。明日から注目しよう。

と思ったけど今夜口論後地下室飛出帰路。明日からいかないかもしれない。てかイケないイカない。
2003/09/01月  ミッシェル・ガン・エレファント解散

ここ数年日本ロックの頂点を維持し続けた怪物もついに終焉。13年というコトはシャウターズよりちと先輩やったのか。Drフィールグッドを激ラウドにし、決してパンクではないサウンドとスーツ姿で初期ARBよりも完成度があって出てキタ当時、どんなジャンルの同業者も注目してた。以降勇気ある不変でもってかたくなマデにシンプルでラウドなそのR&Rをやり続けた。ホントよくそのやり方でネタ持つなあと関心シキリですた。絶頂状態での解散というコトだが5年後でもおそらくそれは変わらなかったであろう。ちなみに「サタデーナイト」ってミッシェルの「CANDY HOUSE」のパロディです(笑)。 ライブいったコトないのが至極心残りだがTVではフジROCKのとHey!Hey!Hey!出演のがブッ飛んだ。ていうか方南町とかに住んでマス(何やねん)。ブルーハーツ以来の伝説になったネ。今宵はフエイバリットなRevolver junkies.mp3でも聴き倒すか。

そうそう、BEAT SHOW出身なのだが最近忙しくて島さんのコメントというか裏話が聞きにイケないのがツラい。とにかく今までヨクシーンをひっぱてクレますた。次は誰が大将だ!?合掌。